Wollheim, Richard. (1980)2015. Art and its Objects. 2nd edition. Cambridge: Cambridge University Press. (『芸術とその対象』. 松尾大(訳). 慶應義塾大学出版会. 2020.)
2021/10/29 第14回ちゃん読発表資料(担当:伊藤)
青字は伊藤のコメント、気になった箇所は黄マーカー。
§20 これまでの議論をまとめ、以降の方針(芸術作品の物理的性格の証明)を示す。
§21 物理的対象仮説の対抗理論となる観念説と現象説を提示する。
<aside> ✅ 観念説 the Ideal theory:芸術作品は観念的対象である。
<aside> ✅ 現象説(「直観説 the Presentational theory」):芸術作品は現象的ないし直観的対象である。
§22 観念説の三つの命題と起源を説明する。
肯定的な面:詩を歴史や批評の著作と区別するのは人間経験である。特徴的に美的であるものに至るためには、表層的要素を無視し、それらを有機化する精神に直行しなければならない。
否定的な面:技術者に特徴的な人工物を作ること(製作)と、芸術家の作ること(創造)はまったく異なるものである。この技術と芸術の対比は、コリングウッドの『芸術の原理』の中心的なテーマであり、技術の次の三つの際立った特徴に基づく。
芸術は上の三つの特徴のどれとも関わらない。
§23 観念説に対する二つの反論(芸術家と観者の断絶、媒材の無視)を示す。
物質化されるべき物理的絵画をすべての点で先取りanticipateできるほど心的イメージが分節化されているとは考えにくい。
観念説は、物理的人工物に対して心的経験が優越すると主張するが、イメージがしかじかの想像された媒材においてあるのは、むしろ人工物がしかじかの物質でできているからである(つまり心的経験の内容は人工物に由来するのではないかということ)。
ブリコルール問題:見たところは恣意的に同定された特定の物質やプロセスがなぜ芸術の媒体vehicleであるのか、という問題。この問題に対する回答は、観念説のような、物質やプロセスを芸術家が考えているからだというものではありえない。むしろ、物質は独立に芸術の媒材であり、芸術家の思考はこれらの物質を用いるプロセスが芸術として公認されていることを前提する。(つまり、物的な芸術作品が存在しなければ、クローチェ的な「直観」はありえない。)
観念説と現象説はそれぞれ異なる位相に注目している。
現象説とは:
<aside> ✅ 現象説:われわれが直接に知覚できる属性、あるいは直接に与えられている属性のみを芸術作品はもっている。
</aside>
現象説の説明に寄せられる二つの批判
上の批判を検討するにあたって、ウォルハイムは二つのクラスの属性(意味属性ないし意味論的属性、表現的属性)を扱う。この二つのクラスが、直接に知覚される属性と媒介的に知覚される属性の区別について不確定であれば、この区別を前提とする直観説は不適格、ということになる。
訳について:わかりやすさのために訳を補った?